(秋田県)がれき・焼却灰への対応/谷口吉光さん

 今月16日、野田佳彦首相は東京電力福島第一原発事故の「収束」を宣言したが、「原発冷温停止状態になったからといって事故が終わったといえるのか」という批判が出ている。

 私も同感だ。そもそも津波に襲われた原発内部で何が起こったのか、東電や国が事故にどう対応したのか、どんな種類の放射性物質がどのくらい原発から出たのか、それがどんな影響を及ぼすのかという基本的な事実すら私たちには十分に知らされていない。

 すなわち「今回の原発事故がどんな事故だったのか」ということを私たちはまだわかっていないのだ。わかっていない以上、「収束宣言」を鵜呑(う・の)みにせず、できる限り慎重に対応すべきだろう。

 秋田県が回答を迫られている放射性物質を含んだがれきや焼却灰の受け入れについても、同じ態度で臨むべきだと思う。私は放射能の専門家ではないが、リスクという意味では農薬や化学物質と共通する点があるので、それを手がかりに私見を述べたい。

 第1に、放射能の被害はリスクという形で考えざるを得ない。リスクとは「ある行動を起こした場合に予想される負の影響の可能性」と定義される。可能性なので、その影響がいつ誰にどんな形で起こるのはわからない。わからないので、対応には幅が生まれる。楽観的に考える人はリスクを低く見込むし、慎重に考える人はリスクを高く見込むだろう。

 慎重派の考えを理論化したものに「事前警戒原則」がある。これは「人の健康や環境に重大かつ不可逆的な影響を及ぼす恐れがある場合、科学的に因果関係が十分証明されなくても規制ができるという制度や考え方」と定義される。この原則に立って対策を考えるべきである。

 第2に、放射能リスクの評価は科学的・総合的に行われるべきである。がれきや焼却灰に含まれる放射性物質の濃度だけでなく、それが秋田で処理される場合に環境中にどのように出ていくのか、拡散するのか、濃縮するのか、埋め立てた場合には地下水に漏出しないのか、農作物や魚介類への移行はどうなるのかなどまで十分に検討してから答えを出すべきだろう。検討に必要な情報の提供を東電や国に要求すべきである。

 第3に、放射能リスクを引き受けるのは最終的に住民なので、受け入れ地域の住民に十分な情報を提供したうえで、住民の合意を得る手続きが不可欠である。

 マスコミには「復興支援のためにがれきを受け入れるべきだ」という論調が見られるが、復興支援と放射性物質の受け入れとは別の問題だろう。放射性物質の受け入れについては、前述の考え方に基づいて、住民の合意が得られない限りは受け入れないという方針で臨むべきではないだろうか。

 「原発廃炉まで40年かかる」といわれているが、万一、放射能汚染で子どもの遺伝子が損傷されればその影響は末代まで続く。慎重な上にも慎重な議論が必要だろう。

2011年12月21日 asahi.com
http://mytown.asahi.com/akita/news.php?k_id=05000491112210001